十一代目市川團十郎の長男として誕生。父が早世した後は自らの努力で芸を磨く。スケールの大きい骨太な芸格が魅力。重厚な存在感と独特な愛嬌を併せ持つ。市川宗家お家芸の歌舞伎**番はもとより、荒事、世話物、義太夫狂言、新歌舞伎と多彩な役々を演じ分けた。 円熟期を迎えて歌舞伎界の柱として期待されていたが、晩年には白血病を発症、健康に不安を抱え、治療を受けながら舞台を務めていた。 従兄弟に二代目松本白鸚、二代目中村吉右衛門、初代尾上辰之助がいる。 一方では小学生時代から天体観測を趣味としていたために、宇宙への関心が深く[1]、『宇宙の渚』(日本放送協会)など、宇宙関連のテレビ番組や各種イベントへの出演も積極的に行っていたこともあった。そうしたことから若田光一や野口聡一など日本人宇宙飛行士とも親交が厚かった。 2004年、息子の市川新之助(当時)が十一代目市川海老蔵の襲名を発表した席で、「倅、市川新之助がこの度、團十郎を襲名する運びに相成りました」と発言した。すぐに間違いに気付き「團十郎じゃないや!えらいこっちゃ!」と慌てふためいて、会場が笑いに包まれた、 生前には「おいおい時期を見て團十郎の名を倅に譲り、自分は隠居名を名乗る考えがある」ことを明かしていたという[2]。その場合には2代目團十郎の俳名である「栢莚」を名乗るつもりでいたと考えられている[2]。